私が「居場所」という言葉を強く意識したのは、高校生の頃でした。
当時、私は学校に行くことができず、不登校の状態にありました。
学校だけではありません。
家庭の中でも安心は得られず、学校にも家庭にも居場所がありませんでした。
外にも家の中にも居場所のなかった私には、自分を守るために自室に引きこもることしかできませんでした。
外界との繋がりが断ち切られ、部屋の中で引きこもる日々は孤独そのものでした。
社会から切り離され、何かに挑戦することも、未来を思い描くことすらできませんでした。
そんな時期が長く続きましたが、様々な偶然のきっかけに助けられ、少しずつ外の世界に目を向けることが出来るようになっていきました。
社会との繋がりを取り戻し始めたとき、私は「つながり」の大切さを身をもって知ることが出来たのだと思います。
引きこもりではなくなった今でも、その経験は私の中で大切な意味を持っています。
人と人との繋がりが、どれほど心を支え、未来への一歩を踏み出す力になるかを、私は身をもって知りました。
そして、その経験が私の人生の軸となり、今の私を形作っています。
その後、私は自身の経験を何か活かせないかと考え、フリースクールのボランティアを始めました。
そこでは、多くの子どもたちと触れ合い、子どもたちが安心して過ごせる居場所の重要性を改めて感じました。
しかし、そのフリースクールでのボランティア活動には、ある種の限界と硬直を常に抱え続けながらの活動でした。
やりがいのある場所であり、大切な場所でしたが、「諸般の事情(?)」によりフリースクールを辞めさせられることになりました。
それでも、そこで出会った子どもたちとの繋がりが消えることはありませんでした。
私が辞めた後、なんと子どもたちが自然と私の家に集まるようになり、いつの間にか子どもたちの居場所のように機能し始めていることに気が付きました。
ならばいっそのこと、フリースクールとして自宅を開放してしまおう。
子どもたちのために始めたフリースクールのボランティアでしたが、フリースクールという場所にこだわらなくても、支援は可能なのだと気付かされたのです。
そうした経緯で、新しいフリースクール「閑話休題」は誕生しました。
閑話休題は、子どもたちが安心して過ごせる「居場所」であり、学びの場です。
社会や人との繋がりを少しずつ取り戻しながら、成長していくことができる場所を目指しています。
過去の私がそうであったように、今、不安や孤独を感じている子どもたちにとって、この場所が新しい一歩を踏み出すきっかけになればと願っています。